パチンコ依存症時代一番傷つけたのは大切な母親でした。

パチンコ依存症時代一番傷つけたのは大切な母親でした。

パチンコ依存症時代一番傷つけたのは大切な母親でした。

 

こんにちは、トシマールです。

 

パチンコ依存症になって、毎日のようにホールに向かう日々を続けていると

 

ほぼ間違いなく、誰かに迷惑をかけ、そして傷つけてしまいます。

 

それは、友人だったり、彼氏彼女だったり

 

大切な家族だったり。

 

人によって様々でしょうが

 

私の場合、一番傷つけてしまったのは

 

紛れもなく、大切な母親でした。

 

私と母親の関係

パチンコ依存症時代一番傷つけたのは大切な母親でした。

 

以前の記事でも少し書いたんですが

 

私の母は、大のギャンブル嫌いです。

 

その原因は、私が3歳の頃に亡くなった父が無類のパチンコ好きだったから。

 

普段は優しく頼りがいがある夫だったのに

 

パチンコが絡むと気性が荒れて、よく夫婦喧嘩をしていた。と

 

母が父のことを思い出す度口にしていました。

 

そんな苦い過去を経験していた母なので

 

私が幼い頃から、「ギャンブルは絶対ダメ!ギャンブルは絶対ダメ!!」と

 

耳にタコができるくらい聞かされていたので

 

賭け事はやっちゃいけないんだ!という意識を

 

幼いながらもぼんやり抱いていたんです。

 

そして、私が一人っ子ということもあって

 

自分で言うのもなんですが、母からかなりの愛情を注がれていました。

 

小・中学校までは、学校に行く時

 

私の姿が見えなくなるまで、ベランダで見守ってくれてたし

 

私がケータイを持ってからは、毎日最低一回は電話がかかってきていました。

 

他の家庭がどうかはわかりませんが

 

たぶん、かなりの過保護だったんじゃないかなぁ(笑)

 

そんな母からの愛情をひしひしと感じていたので

 

母が一番傷つくギャンブルをするなんて全く思っていなかったんですが

 

幼いころからの母の忠告も虚しく

 

私は、どっぷりとパチンコにハマってしまうことになります。

 

まさかの高校生からパチスロデビュー

パチンコ依存症時代一番傷つけたのは大切な母親でした。

 

中学卒業後、友達と何気なく行ったスロゲーセンがきっかけで

 

私は、パチスロの面白さを知ってしまいました。

 

他の学生とは違う世界にいるんだ!!

 

大人っぽい遊びをしているというスリル感も相まって

 

どんどんパチスロにハマっていき

 

少しでも手持ちに余裕があれば

 

学校が終わった後、急いで自宅に帰り

 

制服を脱ぎ捨て、一直線にホールに向かう日々を過ごしていました。

 

その時からパチンコに行くために、友達と遊んでくる〜とか適当な理由をつけて

 

母に嘘をつくようになっていきましたね。

 

部屋に置かれていたパチスロ攻略雑誌に母が気付き

 

パチンコに行っていることがバレた後

 

「ギャンブルはしないでって言ったでしょ!!」と

 

母からなんども注意されましたが

 

高校生特有の反抗期からなのか

 

当時の私は、全く聞く耳を持ちませんでした。

 

まさかこんなに早くギャンブルに手をだすことになるなんて・・・

 

母も信じられない気持ちで一杯だったと思います。

 

就活もろくにせず、パチスロライターになりたいと言い出す

パチンコ依存症時代一番傷つけたのは大切な母親でした。

 

その内パチンコから興味がなくなるだろう。。。

 

もしかしたら、母もこのような思いを抱いていたかもしれませんが

 

私のパチンコ熱は、全く冷めませんでした。

 

将来のことを思って、大学に入れてもらったにも関わらず

 

ろくに勉強もせず、大学の友達と暇さえあればパチンコに行くという

 

典型的なクズ学生の生活を送り続け

 

最終的には、就職先も決まらずフリーター生活・・・

 

挙句の果てには、俺にはパチンコ・パチスロしかない!!

 

前々から密かに憧れていた、パチスロライターになる決意を固め

 

私は1人東京に上京することにしたんです。(マジでクズ笑)

 

母からしてみれば、一番目指して欲しくなかった職業だったと思いますが

 

一回決めたら曲げない私の頑固な性格もわかっていたので

 

泣く泣く上京を認めてくれました。

 

本来だったら勘当されてもおかしくないような

 

どうしようもない私に対して

 

引っ越しを手伝ってくれたり

 

東京に行ってからも毎日のように電話をかけてくれた母。

 

こんな優しい人の期待をなんで裏切ってしまったのか・・・

 

今思うと、本当に胸が痛いです。

 

私が本気でパチスロライターを目指した経緯については
パチスロライターを目指して上京した時の話をどうぞ。

 

社会人になってからも、パチンコが原因で借金

パチンコ依存症時代一番傷つけたのは大切な母親でした。

 

パチスロライターになる為、満を持して上京したものの

 

約半年頑張っても、全く出版社から相手にされず

 

ズタボロ状態で地元に帰ってきた私。

 

パチスロライターになれなかったら

 

今度こそ真剣に就活すると決めていたので

 

死に物狂いで就職先を探しました。

 

 

そして、頑張った甲斐あって、わりとすぐ内定をゲットすることができたんですが

 

社会人になってからも、パチンコをやめることはありませんでした・・・

 

むしろ、仕事のストレスから歯止めが効かないケースが増え

 

以前に増して、ジャブジャブパチンコに投資するようになり

 

貯金が貯まらなかったのはもちろん

 

ついには、消費者金融にまで手をだしてしまう始末( ゚Д゚)

 

私が借金デビューしてしまった経緯については
消費者金融に手を出した社会人時代の話をどうぞ。

 

カードローンの魔力を味わってしまってからは

 

パチンコをやめるまで、ずっと借金に苦しめられる日々・・・

 

もちろん、借金していることは母に内緒にしていたんですが

 

ある日、不注意でテーブルの上にカードローンの明細を

 

置きっぱなしにしてしまったことが原因で

 

借金していることがバレてしまいました。

 

私の目の前で、カードローンの明細を見つめる

 

母の悲しそうな顔を今でも覚えています。

 

徐々に信頼を失っていく日々

パチンコ依存症時代一番傷つけたのは大切な母親でした。

 

パチンコを初めてしまったことが原因で

 

数えきれないほどの嘘をつき

 

そして、期待を裏切り続けてしまった結果

 

私は、母からの信頼を少しづつ失っていきました。

 

パチンコやめなさい!!ギャンブルやめなさい!!

 

最初の方は、口酸っぱく叱ってくれた母の口数も年々減っていき

 

パチンコ依存症末期だった頃には

 

もう何を言っても私には響かないと判断したんでしょう

 

私がパチンコに行っているとわかった時も

 

悲しそうな表情を浮かべ、呆れた視線を向けるだけで

 

何も言ってくれなくなりました。

 

一方的に私が悪いことは、重々わかっていたんですが

 

どうしてもパチンコをやめることができなかった。。。

 

昔のように、笑顔で会話する機会も減り

 

年々離れていく母との距離感を感じる度

 

私自身、とても悲しい気持ちになっていました。

 

今は、安心した母親の表情を見るのがなにより幸せ

パチンコ依存症時代一番傷つけたのは大切な母親でした。

 

これまで散々傷つけてしまい

 

母から多くの信頼を失ってきましたが

 

パチンコを辞め、個人の力である程度稼げるようになってからは

 

少しづつ母の表情も穏やかになってきました。

 

以前のように、ギャンブルやめて!と言われることはなくなった反面

 

今では、早く結婚して孫の顔を見せろ!と

 

口酸っぱく言われています(笑)

 

とはいえ、心底悲しそうな母の顔を見ることもなくなったし

 

笑顔でたわいもない会話ができる機会も増えたので

 

本当にパチンコやめれてよかった。。。

 

現在、パチンコが原因で大切な人を傷つけてしまっている自覚がある方は

 

これ以上その人からの信頼を失わない為にも

 

できるだけ早くパチンコから足を洗うべきです。

 

周りの人達が安心できることはもちろん

 

自分自身も、きっと幸福に近づけると思いますよ(^^)/

 

私がパチンコ・パチスロ依存症を克服した詳しい経緯については
パチンコ・パチスロ卒業チャレンジ編をどうぞ。

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